高橋栄津子
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09/05/19 「わかっちゃいるけどやめられない」
- 気付きの綴り : 日々実感する私の気付きを綴らせていただきます。

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このホームページで紹介させていただいているヨグマタの本には「わかっちゃいるけどやめられない」ということをよく取り上げています。
私は仕事を通してたくさんの方々の生活習慣とお付き合いさせていただいていて、皆さんが「自分の…(考え・嗜好等)」というものにすごく縛られているというか支配され、「わかっちゃいるけどやめられない」を繰り返しているように感じます。
具体的に言えば、体調を良くしたいという目的があり、それを達成するには食生活を始め、生活習慣を見直して反省する事があればそれを修正していく、ということが必要なのは皆さんわかっていらっしゃいますがやめられないようです。
ほとんどの方は納得してその体調に良くないと思われることをやめようとします。
そして数ヶ月はやめられたり、頻度を減らしたりして体調が良くなったのを実感し喜びますが、体調が良くなると気が弛むのか喉元過ぎればナントカで忘れてしまうのか、少しずつ、あるいは仕事等のストレスが引き金となり、我慢していた反動が後押しして一気に再開してしまいます。
そしてコントロールできない自分が存在すること改めてに気付くようです。
仕事等のストレスが軽いと長持ちする場合が多いのですが、なかなか難しいところです。
頭でわかっているとおりにずっと行動できたらこんなに簡単なことはないですよね。
日本はなんでも手に入り易いので誘惑も多くついつい欲に手が伸びてしまいますね。
嗜好品や行為としての嗜癖、それらによって感覚的に満足してストレスのバランスを取って過ごしていることに理由があるようです。
それらを多用することは身体に良くないということはわかっていても、ストレス発散のためや不満を満たすために無性に欲しくなってしまうというからくりなのでしょうね。
ストレスがある限りそのサイクルからはなかなか抜け出せないと思います。
感覚的な快楽を喜ばせるものばかりではなく生命が喜ぶものを自然に無理なく選択できるようになりたいものです。
身体に悪影響なものを減らすことも大切ですが、同時にご自身の深い部分を見つめ、何かを見聞きしてどんな反応をするか、その反応の裏に反応を起こす観念のようなものに気付いていただけたらストレスを少し客観的に観られるのではないかと思います。
そのような観念があって自分の観念とは違うことを見聞きしたときにネガティブな反応を起こすのも小さなカルマ(因果律)ではないかと思います。
カルマを外すのは容易ではなく、生涯のテーマとも言えるくらい大きな課題だと思います。
是非ヨグマタの本を読んでいただいてご自身の奥深くに存在するコントロールできないわかっちゃいるけどやめられない、自分を締め付ける要素を見つめてみて下さい。
そしてそれらを浄め何にも縛られない本当の自由を知っていただきたいと思います。
自分の考え方が自由なのだというのか一般的ですが、自分が自分の考えや想い、観念に縛られて不自由になってもいるのです。
解放されて自由に楽になるというのはそれらがなくなってみてから気付くようです。
何にもとらわれない本当の自由な方が増えるととらわれない自由な波紋が広がり社会の緊張感がゆるんで生きやすい人が増えることでしょう。
一人一人の浄化が社会の浄化になることを信じて祈り続けて行こうと思います。
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